川崎医科大学 医学部 合格体験記|河合哲誠くん

川崎医科大学医学部医学科合格☆河合くん 対談動画

僕はもともと、その地域では名の知れた進学校に通っていた。将来の夢も目標もなくただひたすら部活に明け暮れた。

学年が上がるにつれ成績がどんどん下がり、気づけば偏差値は45。次第に自分は何もできない人間だと自分を責め続ける毎日だった。医学部に行くと決意したのは高校3年10月の終わり頃、急に祖母が亡くなったのがきっかけだった。

その頃僕も部活を引退、「ヨシッ 受験勉強だ。」 と周囲はなっているものの、自分はなかなか踏み切れないでいた。そうこうしているうちに祖母が亡くなったのだ。 その時「このままじゃだめだこんなクソみたいな人生で終わりたくない。」 そう思った時目の前にあったのが医師の道であった。

「おれ医者になるわ」そう親に宣言し、一時はその気を爆発させて勉強したが、スマホの誘惑にあっさり負けてしまった。

最初に爆発させた炎は気づけば燃え尽き、「浪人生になってから始めよう」そんな気持ちであらゆる塾を転々として、浪人生活をどうするか探している時、見つけたのが大学受験塾ミスターステップアップだった。

正確に言うと母のすすめで本を読み、ここは他とは違う、そう思って 入塾を決意した。実際にしてみると、想像とは全く違う環境にただ驚くだけだった。不安がありつつも、僕は悩みの種であったスマホも解約し、ガチの受験勉強がスタート。

ただひたすらに反復、「自分はできる」「自分の人生を変える」 そう思って移動の時間も惜しんで勉強した。だがそう簡単に受験の神様は微笑んでくれなかった。センター模試はいつも7割くらい「なぜできない」間違えたところは 一枚の紙に集め何度も反復した。

今度こそ、今度こそ、そう思って望むも結果は思うように上がらない。センター2週間前やっとこさ8割になった。 ただ僕は不安でいっぱいだった。国公立医学部はここでビハインド、あと2週間でさらに感覚を上げないとまだ安心できない。

でも、このまま行けば国公立医学部には出せる。

しかし、センター本番の結果が最悪だった。前の点数に戻っていたのだ。あれだけやっていたのに、あれだけ準備したのに、第一志望の道は閉ざされ、僕の心は崩壊寸前だった。

勉強してても全く頭が働かず、村田先生へ相談に行った。正直に何を言われたかあまり覚えていない。ただ村田先生の言葉で自分の心に火がついた。大爆発を起こした。ほぼ頭の中は勉強のことでいっぱいだった。

どうしたらミスが減るか、どうしたらもっと速く解けるか、考えては相談に行き、アドバイスを受け、時には怒られながら自分の可能性を信じて、まだいける、まだできる、そう思って勉強に没頭した。正直、受験の結果は自分にとって全然満足できるものではない。

あの時こうすればよかったのでは、今だからそんなことはいくらでも言える。ただひとつ言えるのは、この一年間、僕は初めて全力になってチャレンジすることができた。

初めて自分の弱さ、強さ、限界を見ることができたのではないかと思う。でも限界を見たとき、自分はこの程度でいいやと思って欲しくない。むしろ限界の先にあるのが本当の自分なんだと思ってほしい。限界を超えるのは自分だ。

でもそれには周りの助けがいる。だから遠慮せずどんどん周りに助けを求めて行ってほしい。多分僕が足りていなかったのはそこら辺の ハングリーさかな。 一回り成長すれば、今度はまた新たなステージが待っている。手始めにまずは本を2000冊読むことを目標に頑張ってみようと思う。

そして常に僕はチャレンジャーでありたい。多分これからのほうがもっと苦しいことなんて、いくらでもあるんだと思う。でもその先にあるもっと大きな喜びに向かって僕はさらに加速度を上げて、リミット無限大まで走り続けたい。