ぶっとんだ勉強で限界突破!京大の英語がカンタンに見えた!

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数学40点の悔しさを噛みしめ、京大へ再挑戦!

 僕は再受験生として、憧れの京都大学へ戦いを挑みました。決して楽な毎日ではありません。特に越えるべき壁は、数学と英語です。

一浪目の時、数学は150点中40点でした。基礎知識がつながっておらず、実力が安定しないまま本番に突入してしまったからです。結果、5問中1問しか完答できず。砂を噛むような思いをしました。

教材との対話で感覚を高め、ついに数学8割へ!

 そこで今年は、自分の基軸となる教材の知識を抽象化し、体系的にまとめていきました。

 さらに鍵となったのは、他の塾生との議論です。難問を考え抜いた塾生同士で、「なぜこの解法で解いたのか?」「他の人と自分の解答では、何が違うのか?」など、各々の疑問をぶつけ合うことで、一人では見つけられなかった新たな着眼点が生まれました。

 思考が柔軟になり、初見の問題と普段解いている問題が〝つながっている〟ように見え始めたのです。なぜその解法になるのか手に取るように分かり、議論の途中で全く別の発見をすることがありました。得られた感覚を忘れないよう、議論の後は圧倒的な問題量と反復回数をこなし、自分のものにしていきました。

 『議論』は、教材を相手にも行いました。「この参考書の著者と同じ感覚をつかむにはどうしたら良いのか?」「数学ができる人の感覚ってどんなのだろう?」を、教材と対話しながら考え続けたのです。

 その効果か、以前の僕は、本番で焦ってしまい、実力を発揮できないことが多かったのですが、問題を見てすぐわからなくても、焦らなくなりました。頭が整理され、問題を俯瞰的に見て分析し、効率的に解法を選び出せるようになったからです。

成績はうなぎ登りで、京大模試の偏差値は75に。そして迎えた本番で、数学8割という快挙を叩き出せたのです!

ぶっとんだ勉強で限界突破!京大の英語がカンタンに見えた!

 英語はそこそこ得意でした。ですが、考え込みやすく、全体の意味をとらえて余裕を持って解くことができない状態が続きました。

 そんな時、「ある程度の学力を持つ受験生が、さらに突き抜けるためには、少しぶっ飛んだ勉強が必要だ」という先生の言葉とともに渡された教材は、骨のあるものばかり。テストも基準が高く、京大レベル以上の英文を口頭で即時に和訳するというものでした。

しかしその厳しさのおかげか、思考の瞬発力と集中力がつきました。気づけば、京大模試で偏差値72まで上がっていたのです。加えて、辞書ほどの厚さのある、挫折率90%以上と呼ばれる単語帳を完全暗記しました。

多義語も全て意味を覚えたおかげで、圧倒的な語彙力がつき、文脈に合わせた訳が可能に。〝枠〟を超えたぶっとんだ勉強を続けたおかげで、終盤には「京大の問題がカンタンに見える」という境地に至りました。

平均3時間の睡眠でぶっ続け勉強!  弱い自分に打ち勝った綾部合宿。

だったにもかかわらず、ずっと集中し続けられました。 5日間の合宿で、1500の英単語を覚えたり。秋の合宿では、数学で限界突破しました。 『総合的研究』の章末問題から、2時間で初見の30題を完璧に手書きで解ける状態にするという課題が与えられ、その後テストをしてもらいました。 これはかなり厳しかったですね。普通に考えたら、2時間で初見の問題30題は絶対にムリ。 作戦がいるなと思いました。普通にやってたら間に合わないから、課題が出されたときに、どうやったらそれができるのか。 何を省略すれば間に合うのかって、先に考えて、工夫して取り掛かりました。たとえば、全部の問題を手書きするのではなく、不安な部分だけ手書きしました。 かなりのプレッシャーで疲れましたが、綾部の環境のおかげで、回復が早いのです。だから続けられました。綾部の澄んだ空気、土、水。環境の力と、スタッフの圧のおかげで、自分の実力以上の力を発揮できました。 一人では絶対できない熱い勉強ができるのが綾部です。 一人だと、絶対逃げてしまいますから(笑)。ここまで応援してもらって、環境も用意してもらったら、そりゃ、やるしかありません。 やるしかないって状況に追い込まれたからできたんです。一人だったら、たぶん、逃げておわり。でも、そうならないための人や助けがあったことが、本当にありがたかったですね。

むなしい自分に熱さが宿り、必死で駆け抜けた日々

僕は今まで、どこか冷めた、むなしい自分がいることに悩んでいました。 「なんのために頑張ったらいいんだろう」「もっと人生が面白くならないかな」・・・そんな、誰にぶつけることもできないようなくすぶった自分の思いに、見事に打ち返してくれたのがこの受験でした。 毎日、猛勉強に追い込まれ、そのおかげで、むなしさを感じるヒマもありませんでした。ふと、虚無感に襲われそうになっても、「参考書の著者の感覚を知りたい」、「京大にうかる人の感覚をつかみたい」、そう思って前を向き続けました。 すると、空虚な自分の中に、何か熱い炎が宿ったかのように、もがきながらも駆け抜けることができたのです。 この熱い日々は、僕にとっての一生の宝です。時には挫折し、受験を諦めそうになったこともありましたが、スタッフの皆様が、時に優しく、時に厳しく、見捨てずに関わってくださったり、塾の環境があたたかく僕を受け入れてくれたので、もう一度立ち上がり、最後までやり切ることができました。受験を通して、〝最高の景色〟を見させてもらい、感謝の気持ちでいっぱいです。

もらったものを誰かのために活かしたい

受験生の間、いろんな人に助けてもらったので、これからは、次の塾生たちに同じことをしてあげたいなと思っています。それが、先生やお世話になった方への恩返しだと思うから。勉強を教えるのはもちろんだけど、受験勉強を続けていけば、必ず弱い部分が出てきます。自分の弱さと向き合うのって、一人ではけっこうキツイです。そんなときに手助けしてあげたいな、と思っています。

人と関わること、全てが学び

受験勉強をあんなにやったのに、勉強に対する感覚はとても柔軟になりました。 これからは、選ばずいろいろなことをやってみたい。そうして、世の中のことをもっと知っていきたいですね。 一般に、勉強って、何かをするための手段のように考えられがちです。その最たるものが、受験勉強かもしれない。もちろん、そういう一面はあります。 でも、僕はもっと、「学ぶこと」、つまり、学問自体に興味がわきました。僕にとっては、学ぶって、人と関わることと差がないと思うのです。 たとえば、「数学」を学ぶとしたら、それは僕にとって、数学のできる人の感覚を学ぶこと。数学のできる人って、どういう感覚で数学と向き合ってるのかな、この教材をつくった人は、どういう感覚でこの問題をつくったのかなって考えて、想像して、汲み取ろうとする。それが勉強です。 そう思うと、出会う人、誰からでも学べます。そうやって、学問自体を、人との出会いだと思って楽しみたいと思うようになりました。