昭和医科大学(医・医)特待生・近畿大学(医・医)☆合格☆(K・Sくん)


共通テスト4割からの大逆転!

逃げの姿勢を断ち切り、昭和大学医学部に特待合格
 

僕はこの春、昭和大学医学部に特待生として合格することができました。

でも、ここまでの道のりは、けっして平坦なものではありませんでした。

むしろ、どん底からのスタートだったんです。

 

現役のころは、共通テストの化学がたったの40点。

物理も5〜6割しかなく、私立医学部の問題にはまったく歯が立たない状態でした。

そこからどうやって、医学部の特待合格までたどり着くことができたのか。

僕の2年間の浪人生活について、お話しさせてください。

 

1浪目の後悔と、合格辞退の大きな決断

ミスターステップアップで1浪目を過ごしたあと、僕は東海大学の医学部から補欠合格の連絡をもらいました。

医学部に行ける。

周りからは「進学すればいいじゃないか」と言われました。

でも、そのとき僕はすでに「もう1年浪人したい」と心に決めていたんです。

 

じつは1浪目の直前期、僕は少しダレてしまっていました。

現実から逃げるように、深夜にYouTubeで動画を見てしまい、勉強に100%向き合えていない自分がいたんです。

その結果、第一志望だった昭和大学医学部の後期試験に、たった5点差で落ちてしまいました。

 

試験が終わったあと、外の景色を見ながら不合格の画面を確認したときの情景は、いまも鮮明に覚えています。

「ああ、あのとき逃げずに勉強していれば・・・」

胸が張り裂けそうになるほど、ショックでした。

 

だからこそ、東海大学の合格をいただいたとき、嬉しさよりもモヤモヤした気持ちが勝ってしまったんです。

このまま大学生になったら、一生「あともう1年がんばればよかった」と引きずるに決まっている。

 

「もう絶対に、あんな後悔はしたくない!」

 

そう決意して、合格を辞退し、2年目の浪人生活をスタートさせました。

 

僕にとって、それは大きな〝賭け〟でした。

もし来年、これ以上の大学に受からなかったら、浪人した意味がなくなってしまう。

その恐怖と絶望感は計り知れませんでしたが、腹は決まっていたんです。

 

難問への逃げと、先生からの「喝」

2年目は、まず自分の弱さである「ネットへの逃げ」を完全に断ち切りました。

YouTubeは、塾で指定された授業動画以外、いっさい見ないと決めたんです。

それは最後まで貫き通すことができました。

 

ただ、順調に成績が伸び続けたわけではありません。

冬ごろ、数学の『総合的研究』という分厚くて難しい問題集に取り組んでいたときのことです。

まったく親切に解説してくれない、甘えの許されない教材に、僕はすっかり心が折れていました。

 

耐えきれず、ゆば先生のところへ行き、「これ、難しすぎます・・・」と泣き言をこぼしてしまったんです。

すると、ゆば先生からピシャッと言われました。

「何、弱気になってんの!」

と。

 

ハッとしました。

自分では無意識だったのですが、難しい問題に出会うと「できないかも」と無意識に避けようとする癖が、僕にはあったんです。

数学の大問でも、(1)と(2)だけ解いて満足し、いちばん難しい(3)を取りに行こうとしていませんでした。

それでは、絶対に高得点は狙えませんよね。

 

以前、たまたま、南極老人にお会いできたときに、僕が難問への向き合い方について質問させてもらったときも、

(3)を解くためには(2)が必要で、(2)を解くためには(1)が必要なのだと、逆算して考えることを教えてもらいました。

 

さらに、身近にいた京大生講師のマイケル先輩が、泥臭く解法を試し、答えを見て本気で悔しがっている姿を目の当たりにしました。

「できる人は、こんなにも勝負師のように粘り強く考えているんだ」

自分には、その熱意と粘りが圧倒的に足りていなかったことに気づかされたんです。

 

「自分から学びに行く」という気づき

じつは夏ごろに、僕は塾に対して少し不信感を抱き、拗ねてしまっていた時期がありました。

「自分は気にかけてもらえていないんじゃないか」と勝手に距離を取り、冷めた目で周りを見てしまっていたんです。

 

そんな中、阿部先生と二人でご飯を食べる機会がありました。

僕がふてくされた思いを打ち明けると、阿部先生はこう言ってくれました。

「先生たちはいつでも質問に答えてくれるのに、自分から学びに行かないのはもったいないよ。学ぶ機会を自分から捨てることになってるんじゃない?」

と。

 

本当に、その通りだったんです。

僕はただ、受け身になって「教えてもらう」のを待っていただけでした。

 

2年目の浪人は、何のためにやっているのか。

自分から限界を突破しに行くためではなかったか。

そう思い直し、僕は大きく行動を変えることにしました。

「毎日かならず、合格手帳を見せに行こう!」

その日から、夜遅くなっても毎日欠かさず、講師室に行って手帳のサインをもらうようにしました。

先生たちとコミュニケーションを取りながら、6教科8科目のバランスを細かく調整し、徹夜をしてでも決めたノルマをやり切る日々が始まりました。

 

理系科目の本質をつかむ努力

勉強への向き合い方も、一気に深まりました。

とくに苦手だった化学の『重要問題集』。

解説をただ読むのではなく、「なぜここでこの式をかけるのか」「なぜこの現象が起きるのか」を、1から自分で考え抜くようにしました。

 

複雑な有機化学の構造決定では、情報量が多すぎてパニックになりがちでした。

そこで、問題文の情報を自分なりに整理し、別紙に図やメモをわかりやすく書き出す工夫をしたんです。

これを繰り返すうちに、問題の本質がスッと読み取れるようになり、不安がすっかり消えていきました。

 

物理は、『体系物理』という400題近くある問題集に挑みました。

最初はまったく理解できなかった電磁気や回路の問題も、阿部先生から教わった「電位の色塗り」を実践することで、劇的にわかるようになったんです。

「こことここの電位差が同じだから、こういう現象が起きているんだ!」

回路の状況が目に見えるように理解でき、物理の面白さに気づくことができました。

 

美味しいご飯と、ついに掴んだ特待合格!

そんな張り詰めた毎日のなかで、僕の唯一の心の支えが「ゆにわの食堂」のご飯でした。

とくにスライスポークやホワイトカレーが大好きで、この食事がなかったら、間違いなく受験生活を乗り越えられなかったと思います。

毎日、最高に美味しいご飯でエネルギーをチャージさせてもらって、机に向かい続けることができました。

 

そして迎えた、共通テスト本番。

あんなに苦手だった理系科目が、すべて8割から9割を安定して取れるようになっていたんです!

 

さらに、昭和大学医学部の試験本番。

数学で大問をしっかり完答し、85%以上を獲得することができました!

 

合格発表の日。

画面を見た瞬間、僕はフリーズしてしまいました。

 

そこには、ただの合格ではなく、

「(特待生)」

という文字が書かれていたからです。

 

1年目の後悔から始まり、どん底からスタートした2浪目。

自分への甘さや弱さと徹底的に向き合い、限界を突破できた瞬間でした。

 

僕がここまでこられたのは、厳しくも愛のある言葉で喝を入れ、最後まで見捨てずに信じてくれたゆば先生や阿部先生をはじめとするスタッフの皆さんのおかげです。

そして、温かく見守ってくれた両親には感謝しかありません。

 

理屈抜きに「やる」と腹を決めて駆け抜けたこの1年間は、僕の人生の大きな財産です。

 

本当に、本当にありがとうございました!