中央大学(文学部)法政大学(文学部) 大岡祐貴

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【周りに流されてばかりだった現役、浪人1年目】


僕は、高校の時、学校の先生に言われ、なんとなく旧帝大を目指していました。

行きたいから目指すというよりも、いい大学にいって自分が優秀だということを示すために目指していました。


その時に同じ学校の周りの受験生を見て、

「こいつは俺よりレベルが下だ」
「こいつは俺より出来るやつだ、憎い!」

と周りの人を評価していました。

「旧帝大に行かなかったら、オレは周りと比べて劣ってることになるのか…何としても合格しないと!」と思っていました。



だからでしょう、勉強をしてもやる気も出ず、勉強したりしなかったりとムラがありました。

その大学に行きたいから勉強をしていたわけでは無いので、力がわいてこなかったのです。

結果、「偏差値の低い大学には出願しない」というプライドと、やる気がなく勉強をしない、ということで、浪人が決まりました。


迎えた一浪目、僕は地元の大手予備校に通いました。

その際、「浪人したからにはもっと偏差値の高い大学に行かなきゃ…」という思いに囚(とら)われ、行きたくないにもかかわらず、志望校を変えました。

浪人をしても現役の時と同じ状況になり、勉強もせず、学力も伸びませんでした。

さらに、その予備校では、成績のいい人は授業料が免除になることや、講師も成績のいい人にはちゃんと教えるということを目にしました。

「そんなの成績の出来レースだ」と思わされてしまいました。

自分と他人の学力の差を感じてしまい、自分には無理だと絶望していました。

そうして予備校に行かなくなり、センター試験以降、どの大学も受験せず、二浪目が決まりました。


少し時は遡って、一浪目のセンター試験前日。

やる気が出ず、近くの本屋になぜか行きました。

参考書コーナーを眺めていたら、ある1冊の本が目に入りました。

それが『大逆転合格する人だけが知っている秘密の習慣』でした。

「オレってばこういう本に書いていることはだいたい出来てないから嫌なんだよな…」と思いつつ、なぜか手に取り立ち読みしていました。

読んでいくと「エネルギーとか潜在意識って何!? 受験の本ではじめて聞いたんだけど!?」と衝撃を受け、気がつけば1冊読み切っていました。

そして「ここで浪人したかった!! もっと早く知りたかった!!」と思いました。



【ミスターステップアップで心機一転!】


それから時は流れ、二浪目の4月、家で勉強せずダラダラ過ごしていたときに「もうミスターステップアップしかない…」と思うようになっていました。

オンラインで入塾説明を受け、塾のことを親に相談してみたところ、「大阪の塾!?なんでそんな…」というふうに却下され、僕も諦めてしまいました。

しばらくして6月、さすがに勉強しないとまずいなと思い、また親に頼み込んだところ、なんとか実際に入塾説明に行かせてもらうことになりました。

塾に初めて足を踏み入れると、リビングで勉強会をしている様子、進学塾とは思えないアットホームな空間に、心がだんだん落ち着いていきました。

説明が終わったあと、本当にここでやれるかな、大丈夫かなと一歩踏み出せなく、入塾するか迷っていたのに、なぜか口では「入塾します!」と言っていました。


【二浪目の受験、最後まで苦しみの連続だった】


大阪へ引越しし、念願のステップアップに入塾できましたが、上手くいかないことだらけでした。

とくに講師に話しかけたりすることが上手くできず、相談できている周りの塾生と比べ落ち込んでいました。

何度も帰りたいと思い、塾にも行かなくなり、結局、実家の北海道にも帰ってしまいました。

けれど、そのたびに先生や大学生スタッフが話を聞いてくれ、実家にいるときは、電話をかけて叱ってくれたり、励ましてくれました。

その後、戻ってきても、自分に勉強も、先生方と話すこともできる気がせず、もう一度実家に帰ってしまい、そのまま2浪目は終わってしまいました。

3浪目に突入してしまいました。


「帰りたい」と何度思ったことか。

それでも塾に通い続け、勉強をしていました。


秋になり、模試の復習が上手くいかない、基本の問題集の完成度も上がらない、なにより先生との関係が上手くいかない、といったことが重なり、実家に帰りたいという気持ちが強くなってきました。

ある日、夜中に寮を出て、駅に向かおうとした際、なぜか足は塾に向かっていました。

塾に入ると大学生スタッフが数人いて、僕の話を聞いてくれました。

さらにその後、わざわざ僕のために柏村先生とよなたんが来てくださり、話を聞いてもらえたのです。


そのことで感動したものの、それを踏みにじるかのように、数日後、衝動的に実家に帰ってしまいました。

実家で勉強もせずダラダラしていたとき、弓場先生から電話がありました。

「なんで帰ったの? それじゃ自分と向き合えてない、明日までに帰ってきて」

と叱ってもらい、塾に戻りました。

しかし、それは受験をするためではなく、言われたから戻る、という気持ちからでした。


その後の綾部の勉強合宿では、勉強しても上手くいかず、また先生と仲良くしている塾生をみて、自分とは仲良くしてもらえない、と落ち込み、塾に行かなくなりました。


その後、決死の思いで先生に話を聞いてもらおうとしましたが、僕が先生の話を聞くことができず、「そんなんなら、何も言うことは無い」と言われ、見捨てられたような気持ちになり、目の前が真っ二つになったようでした。

また絶望して、実家に逃げ帰りました。

そうして、そのまま4月になり、三浪目が確定したのです。



【村田先生の電話で安心を感じ、再び大阪へ】


「3年も出遅れたら、もう周りと比べて俺、劣ってるじゃん!! 

そもそもなんで世の中には、現役で東大京大に受かってるやつがいるのに、俺は無理なの!? 

なんで!!なんで!!」

と怒りを抑えきれなくなり、家のガラスを割ったりしました。

完全に病んでいました。


そんなことがあった数日後、村田先生から電話がありました。

しばらくして、実家に帰った僕のことを心配してくれて、電話をかけてくれたのです。

それまでは塾を辞めようと思っていたのに、なぜか口では

「塾を続けます、近いうちに戻ります」

と言っていました。


そして電話が終わったあと、「俺、塾に戻ってもいいんだ…!」と思えるようになり、安心していました。

2回も逃げ帰ったのに受け入れてくれる。

普通ならそんなことはないと思っていたので、それがとても嬉しかったです。



【三浪目の大変化の前の小さな変化】


再び塾に戻り、三浪目の勉強が始まります。

新しい塾、新しい教材、そして前と同じなのに、どこか変わったように見える先生やスタッフの方々。

これなら今年、合格できそう! と思ってはいても、やはり上手くいきませんでした。

不調になったり、過去のネガティブな記憶を引きずって押しつぶされそうになりました。


しかし、ここでもう逃げる訳にはいきません。

時には先生やスタッフの方々に話したり、話しかけてもらったり、泣きながらでも、すごく寝坊しても、塾に毎日来て……

正直それでも、

「ちゃんと勉強出来ているのか」
「まだやれるのではないか」
「勉強のことで相談すべきなのに何も出てこない」

という別の不安が止まりませんでした。

そんな中、毎日塾に来て勉強していくなか、抱えていたモヤモヤを無視することが出来ず、ついに去年から先生に対して思ってたけど言えないことを言える機会がありました。

僕は先生に「先生はほかの塾生には親切なのに俺にはそうじゃない! 態度に温度差がある!」と言ってしまいました。

先生もそれに対して無意識だったらしく、「別に大岡君に不安な気持ちにさせたいわけじゃなかったけど、そういう気持ちにさせていたのは本当に申し訳ないと思ってる」と今までと違うあたたかい雰囲気と優しい表情で言ってもらい、それをきっかけに和解することが出来ました。 

すごいと思っていた先生でも完璧じゃない。

この経験が後の僕にすごい変革を起こすことをこの時はまだ知るよしもありませんでした。



【直前期、先生から温かい言葉をもらって腹をくくった】


長いようで短い受験。気づけば直前期になっていました。

寒さのせいか、嫌な過去を思い出してしまいます。

ペンや参考書を投げつけたりして、物に当たっていたところ、村田先生に呼び出されました。

衝動に流されてはいけないと注意され、僕が周りを頼れていないということも言われました。

遠慮してしまっていることを打ち明けると、先生から

「別にここの人たちにはどんな姿を見せてもいい、あなたの失敗を笑ったりはしない、あなたのことを認めていないのは、あなただけなんだよ」

と言われたのです。

この時はいまいちピンときていませんでした。

まさかこの言葉が、僕を変えることになるなんて…。



【1点でも多く得点する! 強い想いが結果を変える】


それからしばらくしていよいよ共通テストが始まる、そんなときに先生方やスタッフの方々から

「最後まで諦めるな、どうなるかは最後まで分からない」

と言われました。


これを聞いて僕は、

「不安でも、過去問がいまいちできていなくても、本番は今までと別ものだから、だから絶対逃げない」

そう決意して試験本番に臨みました。


本番一週間前に解いた世界史の過去問では、15点しかとれませんでした。

そもそも世界史は10月からゼロから始めたので、模試でもほぼカンで解いていました。


しかし本番、「まぐれでもいいから当ててやる!!」という気持ちをもって適当でもいいからマークをしたら、過去最高の50点でした。
(それでも高い点数ではないですが。)


国語や英語でも2択まで絞れたのに分からなかったところを、適当でもマークしたらだいたい当たりました。

ふり返ってみれば、今までは諦めの気持ちと、実力じゃないから、という理由で、分からなかったから空欄で終わらせていました。

でも、今年は実力じゃなくてもいいから、1点でも多くもぎとる! と決めたところ、平均以上の点数は取れました。



【周りの目を気にせず、自分に正直に】


共通テストが終わって僕はあることに気づいてしまいました。

国公立をめざしてたのは、周りと比べて劣ってると思われたくないという周りの目を気にしたうえでの選択だったこと。

早稲田大学やMARCHのような東京の私立のことを考えてたら、ワクワクしてること。

共通テストでも1日目(文系科目)のほうが、2日目(理系科目)と比べて点数が良かった。


やはり僕の心は、嘘をつき通させてくれないように感じました。

そのときから「俺はこれか自分に嘘をつかないで受験をやる! 国公立より自分の行きたい私立の対策に力を入れよう!」と決意できました。

それから、他人の目を気にした志望校に向けて勉強するより、自分の心から行きたいと思える志望校に向けて勉強することにしました。

するとなぜか、過去問演習をしても楽しい!と思えるようになったのです。


【波乱万丈の受験の中で自分を認めた瞬間】


しかし、英語と国語の過去問演習をしても、時間内に終わらず、根拠が拾えないということが多発しました。

そんなとき、よなたんに教えてもらった、設問に答える際、本文のどこに根拠があり、間違いの選択肢はなぜ間違っているのかを言語化する「リーズニング」をやると、少しずつ根拠を拾えたり、解くのがはやくなったりしました。

その中で1番驚いたのは、普段の生活で自分の行動を客観視して、少しでも論理的に考えられるようになれたことです。

日常と受験は繋がっていると体で実感しました。


迎えた法政大学と中央大学の入試の日。

本番で信じられないことが起きました。

それは、英語では過去問演習では長文を2回読まないと理解できない、それで時間が足りないということが起こっていたのに、本番では1回で内容を理解することができ、時間も20分程度余りました。

国語においては、古文で僕の好きな漫画の話と似ている話が出題され、内容が楽に理解できて、すぐ解けたことです。

その後、滑り止めやMARCHの受験が終わり、残すは早稲田のみ。

そんなとき、僕は熱を出してしまい、塾に行けなくなりました。

直前期で、全然早稲田の過去問が取れてないのに、寮に居ないといけない、そして調子が悪くて寝る時間が多くなってしまう。

「このままじゃ不合格になる!結果を出せない!」という気持ちが込み上げ、涙が止まりませんでした。

まだMARCHの合否が出ておらず、落ちたかもしれないと思い、このままじゃ滑り止めに行くことになるから嫌だと思っていました。


そんなとき、冷静に「なんで俺は、滑り止め行くのが嫌だと思ってるんだろう」と考えてみました。

すると、あることに気がつきました。

それは「弱い自分や情けない自分を自分で認めて受け入れることができていない!」ということです。

その瞬間、あの日、村田先生から言われた言葉が頭をよぎりました。

「あなたのことを認めていないのは、あなただけなんだよ」という言葉。

これを思い出して「この答えはすでに聞いていたんだ!!」という驚きと、時間が経つからこそ分かることがある、ということがわかりました。

それをきっかけに自分のことだけでなく、他人のことも少しずつですが、認めて受け入れることができるようになっていきました。



【先生の言葉を受け入れ、人生が進みだした】


また、自分は完璧であらねばならないと思っていましたが、そうじゃなくていいと少しずつ思えました。

そのとき、先生の態度が、他の塾生と温度差があることを先生自身気づいていなかったことを思い出し、「完璧じゃなくていいんだ!」と、このとき思うことができました。

これらは僕の人生にとって大切なことでした。

気づけたきっかけは、直前に熱を出すという一見最悪に見えることを経験したこと。

それと、行きたくないような滑り止めであっても、ちゃんと受けるように先生から言われ、受けて合格通知をもらったという、自分だけの考えで行動せず、先生の言うことを聞きいれたことでした。


そして迎えた早稲田の試験前日。

はっきりと覚えているのは、東京へ移動するだけで疲れているとき、病み上がりということもあり、食欲もそんなにない…。

しかし、東京遠征の拠点となる「白金ゆにわ」というお店でまかないをいただいたとき、疲れが吹き飛んだことです。

「ああ、ゆにわの食事ってすごいんだな…」と改めて実感しました。


早稲田の試験当日、体調は悪かったけど、やるだけはやった。

試験が終わって帰りの電車で思いました。


「俺、今までセンター試験終わってから諦めて勉強しなかったけど、今年だけは違う。

最後までやれた…別にMARCHも早稲田も落ちてもいい。

やれるだけはやったのだから…」と。


とても清々しかったです。


結果、落ちたと思った法政大学と中央大学は合格! 

決定打は英語と国語です。

とくに英語の配点がどちらも高かったこともあり、数学があまり出来なくても合格出来ました。

しかし、早稲田は不合格…でも、後悔はありませんでした。


【ステップアップだったから、変わることができた】


受験が一通り終わって、今なら思えます。

この塾じゃないとやる気も出せなかっただろうし、受験を終わらせることもできなかった、何より自分の課題に気づいて、自分を変えることもできなかっただろう、と。

誰かに見せつける勇気でなく、自分の意志を貫く勇気を持つことができた。

本当にこの塾は勉強法だけでなく、食事、生活、そして塾生一人一人のことを考えている日本でも唯一の最高の塾だと。


夜中までよなたんに話を聞いてもらったこと。

柏村先生が親身に相談にのってくれたこと。

仲良く出来ないと思っていた村田先生と仲良くなれて嬉しかったこと。

弓場先生に叱られて落ち込んだけど、もっとやれるはずだから頑張ろうと思えたこと。

美味しい食事を毎日食べたこと。

他の塾生と勉強の教えあいをして、教えているのは自分なのにさらに数学の問題を理解できるようになったこと。

基礎力テストで上手くできてつい喜んだこと。

いろんな先生方を呼んでいただいていろんなお話を聞くことができたこと。

京都の綾部での合宿で焚火をしたこと。


そんなことがたくさんあって幸せでした。


確かに、つらいこと、上手くいかなくなること、傷ついたこと、嫌になったこと、迷惑をかけたこと、逃げたこと、たくさんあったけれど、それをひっくるめてここで過ごしたことはいい思い出だったと言えます。

自分では気づききれなくても、ゆにわの食事、リニューアルしてさらにいい空間となった塾、私語することはなくても、ともに勉強をした塾生のみんな、これらが支えになってくれていました。

そして、諦めなかったから。

諦めなかったことがカギになりました。

辛くても、苦しくても、泣いても、絶望しても、毎日塾に来た。

1時間未満でも、自分のやり方があってるかわからなくても、そんなときがあっても勉強した。

そんな今までとは違う自分に誇りを持てました。

2年間、本当にありがとうございました。

自分を変えたいけどどうすればいいか分からない、そんな人は1度塾に足を運んでみてはいかがでしょうか。

きっと、世界が変わります。