京都工芸繊維(工学部)・同志社大学(理工学部)・関西学院大学(工学部)☆合格☆前田意至くん


挑戦してよかった!合格以上にうれしかった、努力が報われる体験

現実から逃げていた高校時代

 高校時代は人に誇れるような事は何も積み重ねてこずに、ただゲームをし、youtubeを見て時間を浪費し、目の前の厳しい現実から目を背けていました。

授業も先生の話なんか聞かず友人と話すか、寝るかの連続でした。

インターネットの世界に浸っている方が自分の好きなことに熱中出来るから楽しいし、楽だった。

その反面、現実の方では人付き合いに面倒臭さを覚えていき、人に気を遣うのにも疲れていきました。


インターネットに浸っていると様々な、正しいかどうかもわからない情報にあふれていて、自分もその情報に踊らされ「自分は他の人よりもすごい情報を知っている」というなんともイタすぎる思考に陥ってしまい、偽りの自信が形成され、傲慢になっていきました。

その思考から、優越感に浸り、偽りの自信を守るために他人の欠点を見つけては心の内で攻撃し、自分よりできる人に対しては「自分ならやればもっと出来るし」と相手の背景や努力を考えず、否定するような毎日を送っていました。


そんな偽りのセルフイメージは高校一年からありました。そのため、志望校は最初から大阪大学工学部でした。

ですがもちろん努力なんかしないまま、目標だけが高いまま月日が経ち、成績は上がるはずもなく右肩下がり。

なにか変えたい、と思って高校二年生の秋に大学受験の参考書を探しに本屋へ行きました。

「南極老人」との運命的な再会

本屋で色々物色していると、ある本に出会いました。それが『大逆転合格する人だけが知っている秘密の習慣』でした。

普通の参考書には書かれていない「習慣について」や「潜在意識、無意識」について書かれている点だけでなく、読んだだけでモチベーションが上がるような話や構成に魅了されました。

当時、見栄を張りたいがために自己啓発の本を2,3冊読んでいて、興味を持っていた時期で、自己啓発本の構成に近いものを感じたのです。


さらに読んでいくうちに、「南極老人」という単語が出てきて、「そういえば…」と思い出しました。

すっかり忘れていましたが、学校に置いてあって、たまたまパラパラめくった『E判定からの限界突破勉強法』の本にも「南極老人」がいたのを。

なにか運命のようなものを感じました。

近くを探してみると、その他2冊の『E判定からの大逆転勉強法』・『E判定からの限界突破勉強法』もあって、塾の場所を調べてみると、実家から一時間程度で行けることがわかりました。

緊張と興奮とともにスクーリングに行くことを決めました。

思わぬ異常事態

スクーリングに行くも現役で大学に行くことは諦め、浪人して京都大学を目指すことにしました。

この一年はやり切った、と誇れるものを作るため、そして嫌いな自分を変えるために、と決意し入塾したのです。


序盤は英数戦略のため、暗記から入っていくのですが、単純作業が向いていたのか最初のペースは順調。

ところが、異常事態が発生しました。顔、首、手、足、至るところの肌が荒れ始めたのです。

とても勉強どころではないぐらい痛みが激しく、「勉強したい、でも集中できない」というジレンマに陥りました。


そんなとき塾の先生方や大学生の皆さんだけでなく、「ボディーヒーリングサロンゆにわ」で整体師をされている万福たけしさんや、受験生に役立つ生活用品を取り扱っている「ゆにわマート」の店員の皆さん、ゆにわで働いているスタッフの方々全員が、自分の肌に気をかけてくれました。

そのおかげでだんだん肌も元通りになっていき、勉強に集中することが出来ました。

今改めて考えると、塾スタッフの方だけでなく、他の職業の方も全員が、一塾生である自分の身を案じてくれるなんて、なんてありがたいことなんだろうと感謝してもしきれません。

共通テストの大失敗

時間は過ぎて共通テスト間近になり、自分はある不安を抱えながら勉強していました。

それはもしかしたら誰もが抱えるかもしれない「この復習の仕方でいいんだろうか、基本の問題集との繋げ方でいいんだろうか」というものです。

自分の場合、間違えた問題に対して、「この問題はこう解けばよかったのか。なるほど、とりあえず解法をコピって貼るか、バイブル本に書き込んでおこう」と言うところまでで終わっていました。

復習は、具体的には
「こことここの考え方が似ている」「この問題はバイブル本のあれとあれを組み合わせた問題だな」

とバイブル本で本当に問題を解ける、という確信を作っていかないといけなくて、
さらに言えば

「なぜ解けなかったのか、原因はどこにあるのか、テスト中なのか普段の反復なのか、そしてそれをどう解決するのか」

など、間違いを成功に昇華させる、必要不可欠な作業だったんです。

ですが、あろうことか、自分はその問題の解決策をあいまいにしたまま、共通テストに臨んだのです。


過去問での点数自体は現代文と地理が心配なぐらいで「まぁ大丈夫でしょ」と慢心していたのですが、いざ本番、大コケしました。

京都大学に出願できる点数には程遠く、大阪大学や神戸大学すら、厳しい戦いを強いられるぐらい共通テストの点数を稼げなかったのです。


終わった後に物凄く後悔しました。

「自分を変える、やりきるなんて大口叩いていてこの結果。結局自分は傲慢から抜け出せていないじゃないか」そう自分を何度も責めました。

 自分には「とりあえずすぐ泣く」という嫌いな部分がありました。

 共通テスト後、ずっと泣いて、落ち着いてもすぐ涙が出てくる、他の人はもう私大に切り替えているのに、まだ引きずっている、と他人と比較してさらに落ち込んでいました。


その時、ある日の限界突破の会で、村田先生が話されていた言葉が頭をよぎりました。

「落ち込むのはドラッグの十倍気持ちいい、だから落ち込むのは、快楽に負けてしまっているということだ。」

その話を思い出して、

「いつまで快楽に負けてんだ。そんなダサい自分は早く抜け出そう」

と思い直し、私大受験に切り替えることができました。

現実と向き合う

私大受験半ばに、前期国公立をどこにするか、ということを決める段階になりました。

「せっかく一年やってきて旧帝大も目指せないのはダサい。阪大か神大に出そうと思ってます」

と柏村先生に伝えたら、先生から

「じゃあ何%ビハインド? 合格最低点は? 他にもちゃんと調べてるなら、どう勝ち目があるかを教えて」

と言われ、自分は何も言えませんでした。

全く調べてなかったんです。

ただ高い目標だけを追い、現実的な策は講じず、地に足着かない生き方、つまり高校時代と変わらない生き方をしていることがわかりました。


そして

「挑戦することだけをし、それで失敗して『よく頑張った、よくやってた』なんて慰められて、結果を出していないのは、それはただの悲劇。

悲劇のヒロインぶっている。ただの自己満足。」

といってもらいました。


「挑戦」、つまり高い目標を立てて、がむしゃらに努力することでしか自分は変われないと思っていた自分にとって、その言葉はショックでした。

「じゃあ自分はどうしたら変われるんですか」

と聞くと、

「泣くのをやめろ。メソメソするから思考もメソメソする」

と言われました。


今までもこうは言われてたのですが、どうすればいいかなんて全くわかんなくて、「あぁ、また泣いてしまった。いつ治るんだろう」といつも次の自分に解決を先送りしていました。

反発する心が出そうになった時、指摘された日の朝にステップアップの卒塾生からしてもらった話を思い出しました。

それは、「自分の成長を妨げるのは、過去の自分」という言葉でした。
その時、自分がすぐ泣く原因が見えたような気がしたんです。


そして柏村先生に「分かりました」と言って、「二度と人前で泣いてやるか。絶対泣いてたまるか」と決めました。

実際のところは、その後に何回か泣いてはいるんですけど(笑)
でも、泣きそうになった時の心の状態は確実に変わっていました。

甘えを捨てて

数日後、中々現実的、具体的な解決策が思い浮かばず、弓場先生にそのことと、その時の心情を打ち明けました。

その時に

「意至くんは依存的だよね。どこか他人に甘えてたり、受け身になってる。自分で自分を追い込まないと成長できないし、何もやってないうちから、ただ方法だけを聞きに来ても、得られるものは少ないよ」

と言ってもらいました。

そこでなぜ共通テストで大失敗したのかがわかりました。

原因は「自分で考えて行動していなかった」という事です。

「いつか教えてくれる」「いつか注意喚起してくれる」と思って過ごしていたんです。

「意至くんはもう自分で考えることができるのに、考えようとしていないのはもったいないよ」

と弓場先生に指摘してもらって、その後に「今の自分の問題は何か、それを解決するためには?」と今までの会での話、本に書いてある内容、手帳の記録、すべての知識を総動員して考えてみました。

 すると、今までは自分には考えて、思いつくなんて無理、と過去の経験から判断して諦めていたのですが、どんどんアイディアが思いつくようになりました。


 そして「どうして自分はもっと、いろいろ挑戦していなかったんだろう」と思いました。

 その時になってやっと「ゴールからの発想」という思考の仕方が少しわかった気がしました。

そこからは何も言われなくても自分が必要だな、と思う勉強は取り入れ、逆に必要ないな、と思うものは頻度を下げるなど自分でスケジュールを考えられるようになりました。

試験本番での奇跡

そして迎えた京都工芸繊維大学試験一日目、自分としては準備しきったと思って、懲(こ)りずに慢心していました。

 なので会場に向かう時間や塾に戻っている時間、観光気分で行っていました。

その結果、数学では、何度も繰り返した基本問題集そのままの問題が出たけど、理解が浅く取り切れませんでした。


帰ってきた後に「本当に自分はこのまま終わって、自分を誇れるか? やりきるんじゃなかったのか? また共通テストと同じ結末になりたいか?」と自分に問いかけました。


 心を入れ替えた次の日に奇跡が起こりました。

 電車の中で、「先生にやったらいいよ」と言われたわけでなく、自分で必要だと判断した化学の教科書を見ていた時に、

「あ、そういえば溶解度積の問題の理解が甘いままだった。ここで解き方を覚えきろう。出てくれたらラッキー」

と思って覚えました。

 その時は気には留めてませんでしたが、心の中にかすかな高揚感を覚えていたんです。

 試験本番。問題を開くと、その教科書の例題と全く同じ問題が出てくれました。
「マジか」と笑みをこぼしながら解きました。

英数化のうち、英数は正直手応えは微妙でしたが、それが合格の後押しになってくれたと思います。


自分にも、まさか本当にこういうことが起こるなんて考えていませんでした。

でも自分で考え実行し、それが報われた、ということは合格よりもうれしいことでした。

小さな成長を楽しもう

この文章を読んでくださった皆さんに、そして自分が嫌いだ、という学生さんに伝えたいことは、「小さい成長を楽しんでほしい」です。

受験最終盤、家で勉強机に向かって勉強することがありました。

そのとき高校時代の頃の記憶が蘇ってきて、「過去の自分はテスト前ですら、スマホを見ながらダラダラと評点のための課題という作業をしていた。

それが今となっては、少しでも合格しようと勉強できるようになっている」ということに気づいて、自分の成長を実感し、すごく心が満たされて嬉しかったです。

その時に前々から教えてもらっていた「他人との比較ではなく、過去の自分と比較しなさい」ということを体感できました。

他人との比較をするより過去の自分と比較したほうが気持ち的に楽だし、誰にも迷惑をかけないならこっちのほうがいいや、と思えるようになりました。

もし自分が嫌いなら、ぜひ昨日より1%でも多くできるようになっている自分を見てあげてほしいです。