大阪大学(外国語)・立命館大学・関西大学☆合格☆新保日南

何のために勉強するのか? 葛藤の末の高校中退

私がこの塾に出会ったのは、現役の9月中旬。

その日も私はいつものように、仕事に行く母を見送ってからベッドに潜り込み、ご飯も食べず、時々気が向いたら布団の中でネットゲームをし、たまに勉強しに布団から出るという、絵に描いたようなダメ人間の生活を送っていた。

私は高校2年生の秋に高校を中退した。

中高一貫で頭のいい人たちに囲まれ、最初は順調に学校生活を送っていた。

しかし、友人が成績の良し悪しで人を見るという態度をとったり、自分の方が頭がいいという自慢をしたりするのを見て嫌気がさし、次第に私の中で苛立ちとなっていった。

私自身が彼らに対して抱いていた劣等感からくるものなのだろう、と思い我慢した。

出来るだけ穏便に生きていたかった。

 

けどある日、不満が爆発した。「もう二度と関わってくんな!うざいんだよ!!!」

翌日友人は謝ってくれたが、それからも自分の気持ちをごまかしながら生活していかねばならないことに変わりはなかった。

挙句の果てには、「あんなことを言う子だとは思わなかった」と陰口を叩かれる始末だ。

 

「私は何のためにここに入学した?というか何のために勉強してるんだ???」

自分でもわからなくなり、二進も三進もいかなくなり、担任と揉めた末に私は学校を辞めた。

学校を辞めてから初めのうちは好きなように自由に勉強していたが、

学校でのトラウマがフラッシュバックして涙が止まらず、勉強どころではなくなることが度々続くようになった。

「私が悪かったのか?」

「いや悪かったのはあいつらの方だ!」

意味もない終わることのない自問自答で精神をすり減らし、気づけばほぼ寝たきりになっていた。

時には趣味のイラストに逃避し、「私、大学なんか行かんでイラストレーターになる!」と言って母を困らせたこともあった。

「あんたこのままやったらいけん!自立せんと!」

母はそう言って県外にある塾を調べ出した。

そして見つけ出したのが、ミスターステップアップだった。

 

こわばったこころを解きほぐしてくれた、毎日のごはん

HPと動画を見て、「ここで駄目だったら、一生変われんのやろうなあ……」と思う自分がいた。

そしてその足で入塾説明を受けに大阪まで行き、そのまま迷うことなく入塾、一人暮らしを開始した。

 

驚いたことは数え切れないくらいある。

美味しい紅茶、アットホームで澄み切った空間、ありとあらゆる所で勉強している塾生たちの姿……。

だが一番驚いたのは、食堂でだされるごはんの美味しさとそのパワーだった。

 

入塾して一週間、私はホームシックに悩まされていた。

自習室で泣きながら白チャートを解いていたのは良い思い出だ。

その日の食堂のメニューはシチューだった。

食べた瞬間に、それまで堪えていた涙が引いていくのが分かった。

と同時に、心が温かい何かで満たされていくような感じがした。

逆に感動で涙が出そうになった。

美味しいのはもちろん、食堂のごはんは、こわばった心をほぐしてくれるエネルギーを持っている。

それから、毎日のごはんは私の楽しみの一つとなった。

 

限界への挑戦を決めたあとの、苦しくも、楽しい日々

しかし塾のスタッフの皆さんに対しては心を開き切れず、自分に言い訳をして上辺だけの関係を取り繕う日々が続いていた。

入塾してから文転した上に国公立を目指していたため、勉強量は膨大なものとなった。

そして緊張感はセンター試験でピークを迎え、そこからは失速、また家に引きこもる生活へと戻ってしまった。

幸い私大に一つだけ受かったのでそこに進学するかどうか迷っていたところ、柏村先生に「今進学しても絶対後悔するで」と言われ、私は浪人する決意を固めた。

 

浪人生活は予想以上に長く、過酷だった。しかし同時に楽しくもあった。

自分の限界を超える、なんて聞いただけでわくわくしてくるじゃないか!

そんなモチベーションの上がる話をしてくださったり、時に励まし、時に厳しく叱ってくださった塾スタッフの皆さん。

そして全国から集まってきた塾生、いや仲間たち。

素性を知らないからこそ、言葉こそ交わさないものの、彼らとは自分を曝け出しお互いを鼓舞し合えるような関係を築くことが出来た。

毎日塾に行く度に新しい発見があり、早く塾に行きたい!という気持ちから、朝5時に来て勉強を開始することもあった。

毎朝スタッフさん方が作ってくださるおにぎりと紅茶とラスクは、毎朝塾に行くモチベーションとなった。

受験直前期にスタッフの風輝君が朝早く来て淹れてくれたカフェオレは、寒さで不安になりそうな私の心を支えてくれた。

今思えば、早起きが苦手で家に引きこもっていた自分が、早起きして塾に行きたがるようになるとは、何とも不思議な話だと思う。

 

澄み切った空間で、高い感覚をつかんだ綾部合宿

そして忘れもしない綾部合宿。

大自然のなかで苦手な数学と真正面から向き合い、格闘した。

塾とはまた違った、澄み切った空間で数学を見つめ直してみると、一つ一つの問題が繋がっていく感覚が得られた。

眠くても自分を奮い立たせ、自分の限界に挑んだ。

そうやって格闘した後のご飯とお風呂が最高だったことは言うまでもない。

本当に様々な形で勉強とは何かを教えて頂いた一年間だった。

楽しくて楽しくて仕方がなくて、こんなに幸せでいいのだろうかと思ったくらいだ。

 

道しるべとなってくれた先生方

この一年間を支えてくださった皆さんに、改めて感謝を述べたいと思う。

柏村先生。先生にはこの一年間、本当にたくさんのことを教えて頂き、その度に「自分は何て小さなことで悩んでいたんだ!」と気づかされました。

先生の何事にもストイックで妥協を許さない姿勢に感化され、

「私もこんな生き方をしたい!」と本気で憧れました。

私の生き方を変えるきっかけとなってくださいました。

専攻語を選ぶ時、どれが良いか分からずしばらく悩んでいたのですが、先生の「フランス語がええんちゃう?」という何気ない一言から、

「先生がこう言うからには何かあるに違いない」と思いフランス語を選択、合格を果たすことができました。

ご縁のある所が、先生には直感的に分かるのでしょうか。

すごい人だなあと思った瞬間でした。

おかげで新たな可能性を見つけることができました。

未知の世界に飛び込むのは少し怖いですが、やるしかない!と言う気持ちです。

阪大の入試の時に先生から頂いた「奇跡はいらない、いつも通りでいい」と言う言葉を胸に抱いて、熱く淡々と目の前のことに全力で取り組むことを続けていきます。

 

村田先生。先生の熱く明快な言葉に私は何度も助けられました。

夜遅くまで相談して頂いたこともあり、私は過去のトラウマを乗り越えることが出来ました。

苦手だった数学も、先生の勉強会で感覚をインストールし、私大や阪大の数学で会心の出来を見せることが出来ました。

先生がいなかったら、私は目の前の壁を乗り越えようとしない、怖気付いたつまらない人間のままだったと思います。

 

弓場先生。先生に頂いた厳しい言葉は、いつも「悔しい!絶対できるようになってやる!」という今まで私の奥底に眠っていた闘志を燃やし続けてくれました。

それだけでなく、先生の笑顔は苦しい勉強の中での最高の癒しとなっていました。

センター帰りにバスと電車で酔ってヘトヘトになっていた私の背中を優しくさすってもらった時の安心感は、今でも覚えています。

私も先生のような、笑顔を絶やさず人に安心感を与え、ここぞ!という時はかっこいい姿を見せられるような人になりたいです。

 

与那嶺先生。先生のところには英語長文の読み方を何度も質問しにいきました。

長文の論理的な読み方からセンター長文を素早く解く戦術まで幅広く深く教えて頂き、

それまでただの単語の羅列に見えていた長文が一気に面白いと感じるようになりました。

また、阪大の入試前日に不安で不安で仕方なかった時に相談もして頂き、心が軽くなって、実力を発揮することができました。

英語力を揺るぎないものにすることができたのは、先生のおかげです。

 

武田先生。毎日やっしを見かけると、「ちゃっす」という謎の挨拶をし合っていました。

私のどんな疑問にも答えてくれて、「こんなすごい人と話せていいんだろうか…….」といつも思っていました。

勉強に疲れた時、ごはんの時間に一緒になった時、何となく一緒にいたい時に、やっしはたくさん面白い話をしてくれて、たくさんのことを知ることができました。

その内容がそのまま試験に出てくるというミラクルも起こり、知的体力もつき、本当に凄いことだらけでした。

大学行ってからも仲良くしてね、やっし!

 

英語を通して生き様までも教えてくださった松本先生。

現代文の読み方を丁寧に熱く分かりやすく指導してくれたこころちゃん。

昼まか前や勉強会で数学がデキる人の感覚を伝え続けてくれた阿部君と憩君。

面白いキャラで場を和ませてくれた安井くん。

私の出した拙い下線部和訳を、毒舌ながらも最後まで見てくれた藤原君。

いつでもどこでも相談に乗ってくれ、私の心を支えてくれた大学生スタッフ、事務のスタッフの皆さん。

美味しいごはんを毎日出してくださった飲食スタッフの皆さん。

陰ながらも私たち塾生を見守り、励ましてくださったGTの皆さん。

そして家族、塾生たち。

誰か一人でも欠けていたら、こんなにも素晴らしい日々はきっと送ることができなかったと思います。

私はこんなにもたくさんの人に支えられているんだ、と実感しました。

この受験生活を本気で過ごしていなかったら、誰かの存在をこんなにありがたいものと思うこともなく日々を浪費していたのだろうか、と思うと怖いくらいです。

「何のために勉強しているのか?」私が苦しみ続けていた問いの答えは、まだ明確ではない。

だが、少なくとも勉強というものは、私自身ではなく、誰かのためにある。

それは今までに出会ってきた人かもしれないし、これから出会う人かもしれない。

もしかしたらもう一生出会うこともないかもしれない。

けど、その熱量は確実に誰かに届き、この世界を動かす動力となっていく。

そんなことを信じて、これからも勉強し続けていきたいです。

一年と少しの間、ありがとうございました!!