立教大学・青山学院大学・明治大学☆合格☆後藤喜斗くん



成績の変化

数学は、もともと感覚のインストールがされていたので、白チャートを反復するだけで、かなり伸びた。

英語は、中途半端に良くも悪くもなかったが、ちゃんと伸ばして得意にすることができた。

国語だけは最後まで伸び悩んだが、本番までに足を引っ張らない程度に追いつかせることができた。



勉強を始めたキッカケ

元々、僕は大学受験をする気がなかった。専門学校に行って美容師になろうと思っていた。なんなら高校受験もする気がなく、中卒で入れる専門学校に行こうとしていたが、流石に高校は出てくれと母を泣かせてしまい、仕方なく高校生になった。大学など眼中になく、友人にも担任にも、そう公言していた。

転機は高1の夏に訪れた。学校の課題で、大学のオープンキャンパスに3つ以上参加し、レポートのようなモノを書いて提出する宿題が出た。フタを開けてみればクラスの大半はやってなかったから、やる必要もなかったのだが、当時の僕は素直に行った。

立教と、青学と、理科大に行った。青学も理科大もピンとこなかったが、立教の、経営学部の学部説明と体験授業を受けている時、所謂「雷に打たれたような」感覚になった。「俺はココに行かなあかん。」「神様に呼ばれている。」そんな感覚。僕は大学進学を、いや「立教大学 経営学部に行く」と、決めたのである。



通信に入ったキッカケ

高校受験の頃から通っていた、地元の個別指導塾に、メチャメチャ気の合う大学生のバイトの講師がいた。おかげで英語で困ることはなかった。

僕が高3になる春、大学を卒業してしまう、そのことはずっと前からわかっていたけど、じゃあ誰に教わっていいのか、わからない。1人でやっていける自力もない。

僕はちょうどその時期くらいまで、いかに定期テストを、成績下げずに、ラクに切りぬけるかを、ひたすら考えていた。ただのサボりたがりである。勉強法調べに夢中だった。定期試験を実験台にして、いかに立教に合格るかを考えていた。そんな時、暗記がニガテだったので調べると、よなたんのブログが目にとまり、その暗記法を実践すると、定期試験の単語のトコロが満点に。高1の頃から苦しめられてきた単語帳に、はじめて愛着をもてた。「この先生(よなたん)に教われる塾はドコだ?!」と、インターネットで調べていって、ミスターステップアップと出会った。あとはトントン拍子で話が進んだ。



入会前に不安だったこと

ない。よなたんと出会った時、村田先生(勝手に師匠と呼んでいる)とお会いした時、僕に迷いはなかった。



入会してから驚いたこと、面白いと思ったこと。

正直多すぎて書けない笑 でも1つ言える事は、この塾の教え、ここの先生の教えは、本物の知恵であるということ。その場しのぎのテクニック的なモノを教わったことはない。一生役立つことを、たくさん学ばせてもらった。



勉強面での変化

勉強法全般

いつでもどこでも勉強する生き方・あり方。これが1番大きな変化だった。

反復

正直ずっと苦手だった。最後まで下手だったと思う。一般人からしたら異常なスピードだっただろうけれど。ステップアップ基準で考えたら、僕はひよっこだった。

理解

あまりわからない事はなかったから、勉強内容でココがわからない、と質問する事はほとんどなかった。基礎から順に着実に勉強を進めたから、というのも大きな理由だが、何より感覚的な部分を抑えていたからだろう。

英語

英語構文が効いた。英語リーディング教本、F.o.Rという教材。全ての文を、1つの枠組みで理解できる。これにより、英語の、単語暗記、英文法、英作文、英文和訳、さらには長文読解まで、全てがクリアに見通せるようになった、正直イミワカランって英文(そんなにないけど)でも、問題に答えるのに必要な1文を抽出しやすくなった。後はその1文だけ頑張って和訳し、マークすると、ほぼ確実に当たる。ちなみにこの考え方はそのまま現代文にスライドして使うことができる。それこそ日本語なのに、何言ってるかわからない現代文も、意外と解けるようになった。

数学

完全に武器だった。というか、社会選択で、高くても選択科目では8割位が限度だ、という受験生を、圧倒的に出し抜くことができた。ある意味では凶器(狂気)だったかもしれない。もともと感覚のインストールができていたから、白チャートを反復するだけで、一気に成績を上げて、高3の時は英国ばかりやれた。

狂気と書いたのはその勉強スタイルについて。高一の頃から好きだった科目でもあったため、歩きながら白チャートや実力upのセルフレクチャーをしていたし、電車に揺られながらでも、車両の壁に参考書と紙を押し当てて、手書きをしていた。お風呂の中で数学のことを考えていて、「わかった!」と風呂の中で立ち上がる。数IIIやってないのに、友人に質問されて、sinの微分のやり方を独自に発見するなど、完全に数学バカだった。というか数学を彼女扱いしていた。真似しなくていいけど、これくらいの勢いで、これを読む受験生は、受験勉強してほしい。あと、俺に最初に感覚のインストールをしてくれた地元の塾のはがちゃんに、もし読んでいたら、ありがとうと言わせて欲しい。



心理面での変化

僕は何をするにもこわがっていた。あるいは無責任に言葉をふり回し、人を傷つけてしまうような人間だった。本気で誰かを信じることもできないでいた。帰りたい場所もなかった。

でもこの受験勉強を通して出会った先生、師匠、仲間、応援してくれるすべての人が、どんなに成績が下がろうと、センターで大コケしようと、支え続けてくれたことで、どんな時も応援し続けてくれたことで、立ち向かう勇気とか、誰かのため生きることとか、100%何があろうと信じる事を学んだ。そういうあったかい場所が、すぐ近くに、家に、白金に、楠葉にあったことに気づけた。素直にありがとうと言えるように、支えてくれる人を思って涙できるようになった。これでも少しは大人になれたと思う。

それともう一つ。僕は正直、冬まで本気じゃなかった。今はそう思う。渦中にいる時は、本気のつもりだったんだろうけどね。

僕は高3の11月に、じいちゃんに死なれてしまった。もともといつ亡くなるともわからない状態だったから、いずれこの時が来ると思っていた。でもやっぱり大きな傷になった。それからの僕は、ずっとこう思い続けた。

「じいちゃんに恥じない、じいちゃんがあの世で『あいつが俺の孫だ』と誇れる孫であらねばならない」と。俺は、自分の合格のためには、本気になれなかった。でも、それから、じいちゃんと、応援してくれるすべての人のために、勉強し始めた。それからというもの、勉強時間も増えて、やっと本気の自分に出会えたと、そう思う。



通信コースの指導で良かったこと

まず最初に全部と言わせてください。進行形で成長し続けるところも全て。

中でも特に、といえば、師匠やよなたんとの人間関係だと思う。勉強会やセミナーで一緒に過ごす時間が、スクーリングに行った時、特に冬スクの最後の日の夜に師匠が手を握ってくれたことが、めちゃめちゃ大事だった。よなたんが、師匠が言うことには、100%従おうと心に決めて、信じ抜く原動力になった。

指導の面で言えば、よなたんにいつでも電話できたこと。これ以上の受験生のスマホ活用法が、この世に他にあるだろうか?(笑)。僕は無いと断言したい。



一番苦労したこと

正直、勉強法のお陰で、勉強ではそこまで悩まなかった。それ以上に、「朝起きられへん」「肩凝って頭痛い」「ついつい喋り過ぎてしまう癖が治らへん」このあたりに、ひたすら悩んでいた。

朝起きられないことは、結局受験終わるまで克服できなかった。でも受験終わってから、弟と、「兄貴~。明日6時20分に起こしてくんね?」「いいよー」という、なんとも日常的な約束をしたら、起きられるようになった笑

結局、俺ってやつは”自分のため”には頑張れないんだなって、ほんとそう思う。

肩凝りは、ただ手を当てて呼吸を整えれば、治せるようになった。

ついつい喋りすぎる癖は、家族との会話を、イヤホンずっとしたままで、話しかけられてもガン無視するという、荒業で克服(仮)した。



大学でのビジョン

これまでに書いた通り、俺は誰かのためじゃないと本気になれない性分みたいだ。だから、大学では、とりあえずは、来た流れや、自分に助けを求める声に応じて、ひとのために生きようと思ってる。自分と関わる誰かを救い、仕合わせにするにするためなら、何でもやろうと思っている。





通信に入会しようと考えている受験生に一言

迷ったら、おなかに手を当てて、一呼吸おいて、自分に問いかけてみてほしい。自分が本当に求めている道は、どの選択なのか。答えは自分が一番よくわかってるハズ。後はその想いに従って、動いてほしい。