神戸大学 合格体験記|中北将吾くん



【他の合格大学】
明治大学
立命館大学

僕の高校生活は散々でした。授業中は寝てばかり。終礼後の部活動では、可愛い女子部員達に見とれては鼻の下を伸ばし、部活がない日は彼女とデート。これまた可愛い彼女に見とれては鼻の下を伸ばしていました。これだけ鼻の下を伸ばしているようでは成績は伸びるはずもなく、

入学時は55-60くらいあった偏差値は気付けば47にまで落ちていました。時に2年の11月。さすがに、このままではヤバイと思いつつも、思っていただけで、思っていました。はい。

しかし、それから1カ月ほど経ったある日、転機が訪れます。とある英語科の先生が、自らの逆転合格ストーリーを授業で語ってくれた時のことです。その先生は高校時代は陸上に没頭しており、成績は地を這うほどだったのに、そこから這い上がり、超難関大学合格を掴んだのでした。

受験を通じて、人は変わるのだと熱く語りかけて下さいました。不可能とも思える下剋上を成し遂げた先生のエネルギッシュな姿勢に惹かれ、その話を聞いた瞬間に大学受験を決意したのを今でも覚えています。授業後に先生に携帯電話を預け、僕の受験生活が始まりました。

偏差値40台の僕が選んだ初めての志望校は文系最難関、一橋大学。ちなみに志望理由は名前がカッコ良かったから。ただのアホです。受験常識も勉強法も全く知らなかったけれど、人生をひっくり返したいという意思だけはありました。

というのも今までの僕は、失敗を恐れて挑戦を避け、口だけ達者で実力は皆無、いつも逃げてばかりのダメ人間だったのです。他人と自分を比較しては劣等感を抱き、粗探しと愚痴吐きに勤しむ毎日。そんな自分を受験を機に変えてやる、実力のある人間になってやる、と心に誓いました。時に2年の1月。

それからは毎朝4時に起きて勉強しました。偏差値もすぐに60くらいまで回復しました。順調に滑り出した僕の受験生活でしたが、睡眠時間を削りすぎたせいか、4月頃に1週間ほど体調を崩してしまいました。その後、以前の勢いは無くなり、成績は伸び悩み、またダメな自分に逆戻りしました。

親の携帯を使って、ツイッターやLINEを再開し、勉強から逃げ、志望校も下げ、彼女と遊んでは鼻の下を伸ばし、、
『結局、人生なんて変わらんのやろ。。』
なかば自暴自棄になり、心の中で、そう呟いていました。

そんな調子で一年が経ちました。巻き返した時期もあったのですが、非効率な勉強法と中途半端な姿勢が仇となり、志望していた神戸大学に合格することはできませんでした。完全な不完全燃焼です。大学に落ちたことよりも、自分を変えられなかったことに対して悔しさがこみ上げてきました。合格していた私大もあったのですが、今度こそ、自分を変えたいと思い、浪人を即決。志望校も一橋に戻し、大手予備校に通うことになりました。

僕の住んでいた香川県は受験産業が未成熟だったため、僕は自分で勉強法を模索・開拓するしかありませんでした。勉強法の本を20冊も30冊も読み、参考書もアホほど買い込みました。自分なりの計画を立て、勉強に取り組んでいました。そんな時期に出逢った本が、大逆転勉強でした。読み終えるやいなや、
『スゴすぎる。。この勉強法を生み出した人には、一生敵わんわ。。』
理論的で効率的な方法、詳しい参考書の利用法など、本当に衝撃でした。衝撃受けすぎてアゴが外れそうでした。しかし、僕は内向的で挑戦を恐れるタイプだったので、大阪で一人暮らしをしてまで塾に通うことなど1ミリも考えていませんでした。

ところが、本に出逢って1週間くらい経ったある日、意外な形で転機が訪れます。それが失恋でした。3年間付き合ってきた彼女に突然フラれたのです。しかし、その悔しさが僕を変えました。当時は意識していませんでしたが、この悔しさはエネルギーに変えられるのです。

エネルギーという言葉が分かりにくければ、やる気の源と言ってもいいかもしれません。そして、この失恋エネルギーの使い道は自由。“悪”に使えばストーカーですし、“逃”に使えば愚痴でしょう。僕はこのエネルギーを“戦”に使うことに決めました。

すなわち受験勉強にエネルギーを投入し、ダメな自分と戦ってやろうということです。

こうして僕は単身で大阪に乗り込み、ステップアップに入塾しました。志望校も東大に変更し、毎日13時間、血を吐くほどに勉強しました。会話禁止、携帯禁止の厳しい環境でしたが、勉強だけに集中できることは本当に幸せでした。入塾3ヶ月後には偏差値は70を超え、東大合格も夢ではないといったところまで来ていました。

しかし、そんなに順調ではありえないのが受験勉強です。9月ごろから調子を崩し始め、勉強に集中できない日々が続きました。先生にもスタッフさんにも相談できず、たった一人で悩んでいました。勉強に向かえないことへの罪悪感に苛まれ、自分の弱さに落胆し、本当に自分が嫌いになりました。

そして、気づけば11月が来ていました。最高の環境を提供してもらっているにも関わらず、ほとんど勉強していない自分の事を知ったら先生はどう思うだろうか。そんなことを考えながら、第2自習室で赤本を眺めていたちょうどそのとき、そこへ村田先生が入ってきました。

先生と目が合った瞬間、罪悪感と申し訳なさがこみ上げてきて、涙が溢れでてきました。そんな自分を悟られまいと急いで自分の自習室に逃げ込みましたが、あまりに泣きすぎたせいか、先生に見つかりました。

その日、村田先生は深夜まで僕の話に付き合ってくださいました。そして、話を聞き終わった後、こう言ってくださいました。
『人間は完璧じゃないよ。弱い部分もあなたなんだから、それは認めてあげたらいいんじゃないかな。

その上で、どう生きるかは自分で決めれば良い。ただ、受験勉強っていうのは今しかできないから、本気でやらないともったいないよ。』
相談に乗っていただいたおかげで、その日からは徐々に調子を取り戻していきました。相変わらず弱い自分はいましたが、逃げることなく徹底的に向き合うことにしました。勉強
にも集中できるようになり、直前のセンター模試では総合9割を突破。そのまま油断することなく、ストイックに勉強を続けました。

そして迎えたセンター試験本番。デキは、まあまあだったと思います。しかし、いざ自己採点をしてみると、なんと直前の模試より70点以上も下がっており、総合83%という悔しい結果に終わりました。得意なはずのセンターで失敗したことで、僕の受験計画は完全に狂いました。

まず、足切りが怖いので東大には出願できず、京大に変更。京大対策に専念しないといけないので、東京の早慶上智は受けに行けない、関西圏の同志社は出願期間が終わっている、、という具合にもう散々でした。ちなみに、出願した前期の京都大学、後期の神戸大学ともに判定はD。納得のいく私大の合格が得られないまま、京大の前期試験を受けました。

試験を受けてから合格発表までは15日ほどあるのですが、ここで後期の神大対策をするのは本当に苦しかったです。去年の自分を含め、一般的な受験生なら前期試験の後には勉強をやめてしまいます。しかし、僕は最後まで手を抜かずに机に向かいました。

納得のいく私大の合格が無いという事実が、皮肉にも僕を本気にさせたのでした。こうして15日が経ち、いよいよ京大の発表の日が来ました。結果は不合格。本当は泣きたかったけれど、無理をして気丈に振る舞いました。2日後には後期試験ですから、落ち込んでいる暇は無かったのです。とにかく、後期に向けて今できることを全力でやろうと思いました。

後期試験の前日、柏村先生が僕に小論文の教材を渡してくれました。試験の前日に新しい教材をやるなんて普通は良くないことなのですが、せっかく貰ったし、一応読んでおこうと思い、その日のうちに全部読みました。それから一夜明けて試験当日。

早朝5時半に塾に行くと、なんと僕だけのために、酒崎さんと柏村先生が美味しいマフィンと紅茶を用意して下さっていて、3人で朝食をとりました。最後まで一緒に戦ってくれて本当に嬉しかったです。負けられないと思いました。

そして迎えた本番、1科目は英語。これはかなりできました。満点近い点数が取れたと思います。次は小論文で制限時間は120分。『泣いても笑っても、俺の受験生活はあと2時間。2年間の全てを解答用紙に残して帰ろう。』

そんな気持ちで試験を受けました。神戸大学の小論文はとても難しく、大苦戦を強いられました。柏村先生から前日にもらった教材で得た知識を使って、なんとか書き切りましたが、デキは過去最低レベルで正直落ちたと思っていました。

試験場からの帰り道、駅までゆっくり歩きながらこれまでのことを振り返りました。
『受験を通して自分と向き合い、必死で努力した2年間。でも、何も上手くいかなかった。たしかに大事なのは結果じゃないけど、結局、報われないもんなんだなぁ…』
少し、悲観的になりながら、しかし清々しい気分で、受験生活にラストの挨拶を送りました。

ちなみに、もう一浪しようとは全く思いませんでした。結果には満足いってないけど、僕は人間的に変わることができたから。最後まで逃げずに戦い抜いた自分のことを、やっと認めてあげることができました。誇らしいとさえ感じました。

それから10日後の3月20日。後期は完全に落ちたと思っていたので、その日の朝10時が神大の合格発表だということも半分くらい忘れており、起きたのは9時54分。寝起きで目をこすりながら神大のホームページにアクセスし、合格者の番号掲示のPDFを開きました。


神戸大学

国際人間科学部 グローバル文化学科 24341


目を疑いました。そこに僕の番号が記されていたのです。最後の最後で僕の努力は報われたのでした。受験を支えてくれた全ての人への感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。こんなにドラマチックな受験をすることができて僕は本当に幸せものだと思います。

ステップアップで過ごした10ヶ月間で、僕は変わることができました。何度も逃げ、何度もあきらめ、決して完璧じゃなかったけど、周囲の支えのおかげで最後まで頑張れました。そして、受験がおわった後には、利己的で痩せた感覚で生きる自分はもういませんでした。

他人のために生きようと心から思えるようになりました。心に余裕を持つことができるようになりました。物事への解釈が上手くなりました。本当に別人に生まれ変わることができました。

まぁ、とはいっても、美人を見たら鼻の下が伸びるところだけは全く変わっていませんが。