大東文化大学(健康科学部)合格「心から信頼できる人と出会えた」城崎さきこ

私は、何のために生まれてきたの…?

 

私はずっと「生きる意味」を探していました。




きっかけは、中3の時。

 

私の身体に、

まだ治療法すら見つかっていない

ある病気が発覚したからです。

 

何度も、検査のための入退院を繰り返し、

 

入院中は、身体は管だらけで、

1週間、40度以上の高熱に

うなされることもありました。

 

口の中は口内炎だらけで、

身体中の関節も痛くなる…

 

そんな日々を過ごしました。

 

病気のせいで、大好きだった

バスケも満足にできなくなったのです。

 

けれど、私がそんな状態でも、

ずっと私のことを支えてくれたのが家族でした。

 

お母さんとおばあちゃんは、神社へと通い続け、

私の身体のことを思い、祈り続けてくれました。

 

バカにならない治療費も、

お父さんは何も言わずに出し続けてくれました。

 

でも、私はその背中を見て、感謝の気持ち以上に、

申し訳なさを感じてしまったのです。

 

「私は、生きてるだけで迷惑をかけてるのかな…?」

 

「じゃあ、何のために私は生まれたの…?」

 

自分の生きている意味が、わかりませんでした。

 

少しずつ症状はおさまり、

高校へ通えるぐらいには体調が回復しても、

その思いは変わりません。

 

だから、その不安をかき消すように、

高校では、友達と遊んでばかりの日々を過ごしました。

 

学校が終われば友達とカラオケに行って、

1週間、家に帰らないことだってありました。

 

友達との会話も、表面的なものばかり。

 

本音で話すことなんて、一度もありません。

 

ある日突然、仲が良かった友達に

裏切られたこともあります。

 

それも本当は、簡単に裏切られてしまうぐらい

薄い繋がりだということも、わかっていました。

 

心から信頼できる友達が、私にはいなかったのです。

 

身体は思うように動かず、バスケもできない。

 

唯一、時間をともにしていた友達からも裏切られた…

 

気づけば、時間だけが過ぎてゆく日々の中で、

高校卒業の日を迎えていたのです。

 

「高校3年間、私は何をしたかったんだろう…?」

 

虚(むな)しさだけが残る高校生活でした。

 

卒業すれば始まるのが、浪人生活。

 

けれど、私は勉強が大嫌いでした。

 

中学の頃からずっと赤点ばかりで、

大手予備校から地方の小さな学習塾まで、

いろんな塾へ通いました。

 

でも、どの塾も1ヶ月足らずで辞めてしまったのです。

 

「あの先生は、タバコ臭いから嫌だ」

「担当の大学生が、全然来てくれないんだよね…」

「あんな難しい授業、ついていけるわけないじゃん!」

 

どこへ行っても、何か理由をつけて、

私は勉強することから逃げてきました。

 

そんな中で出会ったのが、

ミスターステップアップです。

 

「自分の人生なんて、もうどうでもいい…」

 

ずっと人生に絶望していた私の心が大きく変わり始めたのは、

ミスターステップアップに入ったのが大きなきっかけでした。

 

初めて、本音を受け止めてくれた

 

「どうせ、1ヶ月で辞めるやろ…」

 

両親は、なかば諦めるような気持ちで、

私をミスターステップアップへ入塾させてくれました。

 

何より、私自身、塾を変えたからといって、

勉強ができるなんて思ってもいなかったのです。

 

だから、

 

「これから2ヶ月は塾へ通い続けること!」

 

という条件付きで、

私は入塾することになりました。

 

「どの塾へ行ったって、どうせ同じでしょ…?」

 

そう思っていた私の不安は、

なんと入塾初日にかき消されることになったのです。

 

入塾初日の夜、

私は村田先生と何気ない話をしていました。

 

でも、村田先生は、

私のどんな話も受け止め、聞いてくれたのです。

 

すると、気づけば私は、

これまで抱えてきた人間関係の悩みを

会ったばかりの村田先生に相談していました。

 

高校2年生の頃、突然、仲の良かった友達に裏切られたこと。

 

その裏切りを、今でも引きずってしまっていること…

 

今まで、誰にも打ち明けたことなんてなかったのに、

 

気づけば、涙を流しながら

村田先生にすべてを打ち明けていたのです。

 

「こんなことまで聞いてくれるんや…」

 

私はそれまで、信頼できる大人に

出会ったことなんてありませんでした。

 

でも、私以上に、私のことを考え、

さらには、これから先、

進むべき道をも示してくれる。

 

そんな村田先生の言葉に、

私は、強い憧れを抱いたのです。

 

「私も、こんな大人になりたい!」

 

そう心から思える人に、初めて出会えた瞬間でした。

 

気づけば、約束の「2ヶ月」を待つことなく、

1週間後にはミスターステップアップのことが

大好きになっていたのです。

 

何度も、挫けそうになった

 

いざ、勉強が始まれば、

上手くいかないことばかりでした。

 

私の勉強のスタートは、中学英語からです。

 

周りのみんなは高校の勉強をしているのに

私は、同じスタート地点にすら立てていない…

 

周りと比べるたび、何度も落ち込みました。

 

しかも、その中学英語すら、

なかなか進めることができなかったのです。

 

計画を立てた当初は、

半月で中学英語を終える予定でした。

 

なのに、1ヶ月たっても、

私はまだ中学英語を勉強していたのです。

 

「このままじゃ、何もできないまま受験が終わっちゃう…」

 

そう思い、私は泣きながら弓場先生に相談しました。

 

「先生、どうしても、中学英語ができないんです…!」

 

すると、弓場先生は、

一つ提案をしてくださったのです。

 

「よし!じゃあ今日から毎日テストをしよう!

 

 範囲を決めるから、毎日、私のところへ来てね!」

 

それからは、毎日、弓場先生のところへ行って、

中学英語のテストをするようになりました。

 

挫けそうになりながらも、

弓場先生との約束を思い出して

何度も何度も反復してテストに臨みました。

 

すると、中学英語の勉強がスタートしてから2ヶ月後…

 

ようやく、私はすべてのテストに

合格することができたのです。

 

「ついに、中学英語が終わった…!」

 

もちろん、これでようやくスタート地点に立っただけ。

 

でも、これまで勉強してこなかった私にとっては、

中学英語を最後までやり切ったことが

確かな自信となったのです。

 

すると、約1ヶ月、

ずっとテストに付き合ってくれた弓場先生は、

 

私が毎日向き合い続けて、

ボロボロになった英語の参考書を見て、

こう言ってくれました。

 

「この参考書を愛してるんやね」

 

その時、初めて、勉強の仕方がわかった気がしたのです。

 

私は、誰よりもスタート地点が低くて、

要領も悪いし、頭も良くなかった。

 

でも、だからこそ、参考書を愛して、ボロボロにして、

一つずつ身につけていくしかないと思ったのです。

 

共に過ごしたのは、たった2ヶ月。

でも、すべてを打ち明けられた…

 

それからも簡単に上手くはいきませんでした。

 

中学の勉強を終え、

ようやく高校の勉強に取り掛かろうとした時…

 

ふと、素に戻ってしまったのです。

 

「中学英語だけでこんなにもしんどかったのに、

 これからまた、高校の勉強をしなきゃいけないの…?」

 

そう思うと、勉強することが

あまりにしんどく思えてしまったのです。

 

やらなきゃいけないことは、

もちろん、わかってる。

 

なのに、私の身体は

いうことを聞いてくれませんでした。

 

勉強できない罪悪感で、

私は自分のことを責めました。

 

夜、家に帰っては、毎日のように泣き続ける日々。

 

そんな中で始まったのが、綾部合宿です。

 

綾部合宿では、みんなで田植えをして、

その夜には、焚き火をしました。

 

焚き火では、塾生のみんなが

それぞれの熱い思いを語り合います。

 

その時、私は、人生で初めて、

自分の病気のことを打ち明けたのです。

 

火を見つめながら、勇気を振り絞って、

 

私はこれまでの人生で

自分の身に起きたことを話しました。

 

難病指定の病気にかかったこと

高校3年間、ずっとその病気と闘ってきたこと

信頼していた友達にも、裏切られてしまったこと…

 

3年間を一緒に過ごした

高校の友達にすら言えなかったのに、

 

2ヶ月、共に勉強した

ミスターステップアップの仲間になら、

打ち明けることができたのです。

 

なんだか、不思議な気持ちでした。

 

「ここにいるみんななら、何を言っても大丈夫」

 

そんな安心感があったのです。

 

その話を聞いていた塾生のみんなも、先生方も、

すべてを受け止めてくれました。

 

すると、身体の奥底からやる気が満ちてきたのです。

 

「高校の勉強で、しんどいとか言ってられない!

 みんな一緒なんだから、絶対に大丈夫!!」

 

そう思えば、また勉強に取り組む

エネルギーが湧いてきたのです。

 

あたたかい空気感が忘れられない

 

それからも、何度も私は、

調子が悪くなっては勉強できなくなり、

先生や大学生へ相談に行く…

 

そんな日々を繰り返しました。

 

中でも、私には忘れられない言葉があります。

 

その言葉をかけて下さったのが、

ゲスト講師として塾へと来てくださった

石川真理子先生です。

 

日本人の女性としてのあり方を

「武士道」を通して伝えている石川先生。

 

そんな石川先生が塾へと来て下さった時、

私はこんな質問をしました。

 

「なんで、私は生きてるんだろう?

 いつも、そう思ってしまうんです。

 

 そんなことを考える自分のことも嫌いで…」

 

すると、石川先生は、

あたたかい笑顔でこう言ってくださいました。

 

「そうだよね。私もなんで自分が生きているのか、ずっとわからなかった」

 

それから、石川先生は、

ご自身の生い立ちを話してくださったのです。

 

そして、最後に私のことを優しく見つめながら、

こう話してくださいました。

 

「上手くいかなくなった時、自分を責めなくていいの。

 

 『あぁ、また私、こんなこと思ってるなぁ』

 そうやって、客観的に自分を見てみなさい。

 

 そうすれば、楽になるから」

 

母親のように優しく語りかけてくださった石川先生。

 

そのあたたかい空気感が、私を包み込んでくれたのです。

 

だから私は、辛くなった時、何度も繰り返し、

石川先生が話して下さった時の音声を聴き返しました。

 

諦めていいの…?

 

いよいよ、迎えた直前期。

 

私は、試験本番が近づきながらも、

勉強できない日々を過ごしていました。

 

というのも、9月から12月までの間、

ずっと昼夜逆転生活を送っていたのです。

 

この3ヶ月間は、まったく勉強が進まなくて、

参考書を開くエネルギーすら残っていませんでした。

 

一番大事な直前期なのに、勉強できない日々…

 

「もう、名前書けば受かる大学でいいや…」

 

そう思って、すべてを投げ出そうと

思ったこともあります。

 

でも、同時に、そう簡単には

諦めきれない自分もいたのです。

 

「本当に、このままでいいの?」

 

「ここで逃げて、後悔はないの?」

 

ずっと、自問自答を繰り返していました。

 

だから、決意したのです。

 

残りは、たったの3ヶ月。

 

「3ヶ月ぐらい、本気でやり切れるやろ!!」

 

私は、最後の最後まで、

諦めずに戦おうと心に決めました。

 

自分一人なら、きっと逃げ出していたと思います。

 

でも、私は塾のことが大好きだったから。

 

お世話になった塾に、

少しでも恩返しがしたくて、

 

最後の最後まで、戦うことを決意したのです。

 

だから、どうにか現状を変えたくて、

村田先生に相談しました。

 

「村田先生、実は・・・

 

 私は9月から3ヶ月間、まったく勉強できなかったんです。

 

 でも、まだ諦めたくない。

 どうしたらいいのか、知恵を貸してください…」

 

9月からの3ヶ月間、

私はずっと村田先生を避けていました。

 

勉強できていなかったし、

きっと、怒られると思っていたから。

 

でも、意を決して村田先生に相談すると、

村田先生は私の言葉を最後まで

静かに聞いてくださったのです。

 

話し終わると、

何も言わずに紙とペンを取り出し、

こう言って下さいました。

 

「今からでも遅くない。絶対、間に合うから」

 

そう言って、残り3ヶ月の勉強計画を

一から立ててくださったのです。

 

いつ、どんな勉強を、

どれくらいのスピードでやるのか。

 

すべて紙に、具体的に書いて下さったのです。

 

「これなら、いける…!」

 

村田先生が作ってくださった勉強計画をみれば、

今からでも合格できる自信が湧いてきたのです。

 

その日からは毎日、計画通りに勉強できるよう

村田先生のところに合格手帳を見せに行きました。

 

夜になったら村田先生のもとへ行って、

合格手帳を見せながら、1日で進めた勉強を報告する。

 

その繰り返しの中で、気づけば、

昼夜逆転生活もなおっていたのです。

 

私大の過去問も、毎日解いて、見せに行きました。

 

その時も、見せに行くたび、驚かされたのです。

 

村田先生は問題をパッと見ただけで、

その時、私が抱えていた問題点を

見抜いてしまうから。

 

だから、私は安心して村田先生にすべてを預け、

勉強を進めることができました。

 

もちろん、上手く成績が上がらないことだってありました。

 

でも、村田先生から、この言葉をいただいたのです。

 

「〝苦行に楽あり〟

 

 人生で選択を迫られたら、

 必ず苦しい方を選びなさい」

 

そう教わったのです。

 

だから私は、何か選択を迫られた時、

常に苦しい方を選びました。

 

毎日、合格手帳を見せにいくのだって、

面倒くさいと思う日もありました。

 

けれど、村田先生から頂いた言葉があったから。

 

何より、村田先生のような生き様に

少しでも近づきたかったから。

 

私は最後までやり抜くことができたのです。

 

「本当に、頑張ってるね」

 

試験本番。

 

私は、前期試験でも一つの大学に合格していました。

 

そこで受験を終えることだってできたのです。

 

でも、やり切ったとは思えない自分がいました。

 

だから、後期試験も受験することを決めたのです。

 

後期試験も、毎日過去問解いて、

その答案を村田先生へ見せに行きました。

 

何度も、何度も見せに行って、

時には、厳しい言葉をいただくこともありました。

 

でも、いつも最後には、こう言ってくださったのです。

 

「大丈夫。まだまだ成績は上がるから」

 

その言葉が、ずっと私を支えてくれました。

 

「先生が信じてくれているなら、絶対に大丈夫」

 

その安心感があれば、

何だってできる気がしたのです。

 

そして、3月7日。

 

一つ目の後期試験の日がやってきました。

 

「ここまでやってきたんだから、絶対に受からないと…」

 

きっと、力が入っていたんだと思います。

 

過去問では十分に合格点が取れていたのに、

本番では、まったくと言っていいほど、

問題を解くことができなかったのです。

 

得意だったはずの国語も、

問題文が頭の中に入ってきませんでした。

 

しかも、焦れば焦るほど、

さらに問題が解けなくなる悪循環…

 

結果、実力を発揮できることなく、

試験が終わってしまったのです。

 

毎日、先生方にも付き合っていただいたのに、

本番で力を出し切ることができなかった…

 

そう思うと、自分のことが本当に情けなくて、

 

涙があふれ出してきたのです。

 

塾へ帰っても、先生方に

報告なんてできませんでした。

 

「問題が解けませんでした」なんて、

口が裂けても言えなかったのです。

 

でも、次の後期試験に向けて

準備をしなければいけません。

 

なのに、ただ参考書を開くだけで、

内容はまったく入ってきませんでした。

 

当然、過去問だって解けません。

 

すると、そんな私を見て、

大学生の阿部くんが声をかけてくれました。

 

先生方には相談しにくい悩みを

 

いつも親身になって聞いてくれた

大学生スタッフのみんな。

 

だから、その時も、

私は自分の情けなさを阿部くんに相談しました。

 

すると、こう言ってくれたのです。

 

「よかったやん!

 まだ3月10日の試験があるんでしょ?

 

 しかも、戦ったんやろ?

 

 試験が解けなくて、ショックで帰ってきたのに、

 そこから、次の大学の過去問を解いたんやろ?

 

 だから、今解けたこの2問だけでも、

 今日中に完璧にして帰ろう」

 

そう言って、唯一、解くことのできた問題を

完璧に解けるようになるまで付き合ってくれたのです。

 

解いた問題は、たったの2問。

 

でも、その2問を解き終える頃には、

私は立ち直り、今まで通り勉強できるようになったのです。

 

そして、3月9日・・・

 

いよいよ、明日でこの1年間続けてきた

受験勉強が終わろうとしていた日。

 

私は、いつものように過去問を解いて、

村田先生に見せに行ったのです。

 

そのとき、いろんな思いがあふれ出してきました。

 

何度、村田先生に過去問を見せに行っただろう?

 

厳しい言葉をかけられたこともあった。

 

それでも、ずっとその言葉に支えられた。

 

「こうして過去問を見せにいくのも、

 いよいよ、今日で最後なんだ…」

 

そう思うと、この1年間続けてきた

受験勉強への思いが

次々と湧き上がってきたのです。

 

すると、そんな私を見て、

村田先生はたった一言、

こう言葉をかけてくれました。

 

「本当に・・・よく頑張ってるね」

 

それまで、村田先生から

褒められたことなんてありません。

 

それは、私ならもっと成長できると

無条件で信じてくれていたから。

 

でも、そんな村田先生から

「頑張ってるね」という言葉を頂いた時…

 

どうしてもこらえきれず、

涙があふれたのです。

 

そして、私は決意しました。

 

「こんなにも、自分のことを信じてくれる人に出会えた。

 

 もう合格、不合格なんてどっちでもいい。

 

 頂いた愛情を少しでもお返しできるよう

 〝姿勢で〟見せるのが、今の私にできることだろう」

 

その決意を胸に、私は試験に挑んだのです。

 

試験中も、村田先生が合格手帳に書いてくれた

言葉を何度も見返しました。

 

「苦行に楽あり。深呼吸して、笑顔で」

 

試験では、もちろん、

わからない問題もありました。

 

けれど、最後の最後まで、やり抜くことができた。

 

満点ではないけど、100%自分の力を出し切った。

 

そう自信を持って言える1日になったのです。

 

そして私は、大東文化大学に

進学することになりました。

 

大学で学ぶのは、医療です。

 

私は、いろんな病院を渡り歩き、

たくさんの医師の方にお世話になりました。

 

どの先生方もいい人ばかりで、

そのご縁が一つでも欠けていれば

きっと、今の私はなかったから。

 

だから、私がずっと苦しんできたように、

今も、重い病気で苦しむ人の助けになりたい。

 

そう思っています。

 

そして、この受験に挑んだ1年間は、

体調も崩すことなく、勉強に没頭することができました。

 

一つは、スタッフの方々が、

毎日思いを込めて作ってくださる

「まかない」があったのだと思います。

 

調味料も食材も、無添加であることはもちろん、

時間をかけて丁寧に作ってくださる料理ばかりで、

 

どれだけしんどくても、まかないを食べるだけで

どんな疲れも吹っ飛ぶくらい元気になりました。

 

健康でいられることが

ただ、嬉しくて、ありがたかった。

 

ずっと、私は生きる意味を探していました。

 

でも、自分が何もできないからこそ、苦しかったからこそ、

たくさんの人と出会い、助けられました。

 

そして、人のあたたかさを知りました。

 

私はこの塾と出会うまで、

自分の人生なんて、どうでもいいと思っていました。

 

でも、今は違います。

 

本当に、生きててよかった。

 

病気になってよかった。

 

だって、病気がなかったら、

私はここにはいなかったから。

 

今思えば、きっと私は、

ミスターステップアップを通して、

先生方や、スタッフの方々と出会うために、

今まで生きてきたのだと思います。

 

「私も、こんな人になりたい!」

 

そう思える方々と出会えたことが、

私にとってこの1年間で得た最高の財産です。

 

本当にありがとうございました。