京都大学文学部 合格|鵜飼真理



私がこの塾に出会ったのは、高校三年生の11月だった。当時の私は学校に行かない日、遅刻する日が多く、これは「体調不良」のせいなんだ、と自分にも他人にも嘘をつき、誤魔化しながら日々を過ごしていた。

このままではいけない、どこかでこんな自分を変えなければいけない、と思っていた。あるテレビ番組でミスターステップアップの映像を見たのは、そんな時だった。私はその日も朝、遅くに起き出し、なんとなくテレビをつけて見ていた。そこには、階段で勉強する塾生、そしておいしそうなおにぎりが映っていた。


ここに行きたい、と思った。

そして私は、次の日に塾に足を運び、入塾するに至ったのだった。

入塾してからは、驚きの連続だった。予備校では考えられない自分専用の自習室、相談したいときにいつでも相談できる大学生や講師の先生、塾生に振る舞われるおいしいコーヒー、紅茶…。



何より忘れてはいけないのが、ごはんだ。

ここでは、毎日みんなで食卓を囲んで、エネルギーのこもった本当においしいごはんを食べることができた。

私にとって、まかないの時間は、本気で受験勉強に取り組むためにはとても大切な時間だった。

塾では一般的な予備校のように毎年固定的なカリキュラムで授業が行われるのではなく、塾生に臨機応変に対応する「勉強会」が行われる。

自学自習が基本のこの塾で、勉強会は「自分では手に入れることのできない高い感覚を手に入れるチャンス!」といった位置づけだ。

私の一番好きだった勉強会は、「思考訓練の場の現代文」だ。

この会では隔週で一問、事前に現代文の問題が配られ、二週間後に参加する塾生全員で討論を繰り広げる。

理系であろうと文系であろうと、現役生でも一浪でも二浪でも、容赦無しの真剣勝負だ。学校でも予備校でも経験したことのないスタイルのこの勉強会に、夢中になった。

夏には、京都綾部での勉強合宿に参加した。自然豊かな綾部の地で、ただただひたすら数学を解いた。心地良い時間だった。まさに「数学と一体化する」ということが感じられるような時間だった。合宿の最終日には、皆でたき火を囲んで語り合った。あの瞬間を、私は一生忘れないだろう。

秋以降、私はたびたびノンフロー、すなわちやる気が出ない状態になった。勉強していても、頭の中でグチャグチャとした考えが浮かび、あまり勉強に集中できない時もあった。

皆が必死で頑張っている時に、どうして自分はこんなにも頑張れないんだ、と本当に情けない気持ちでいっぱいだった。しかし柏村先生に「自分の評価を自分で下すことがいかに無意味であるか」を教わり、村田先生に「『答え』は自分の中にない。目の前の人、目の前の問題に『答え』はある」「あなたはひとりで生きているんじゃない、関係性の中で生きているんじゃないか」と諭され、自分の中で考えをグルグル巡らせる無意味さを知ることができた。

そして何よりも、綾部で感じたように、勉強と「一体」になれたとき、つまり頭の中がクリアな状態でただただ目の前の問題と向き合っている時だけが、最高の救いの時間だった。ノンフローになるのは、ある種自己卑下する快感に陥っているからなのだが、勉強に没頭しているときの心地よさとは比べものにならなかった。

最後に、この場をお借りして、スタッフの皆さんにお礼申し上げたい。

村田先生。先生は私の父親のような存在になってくださいました。たくさんご迷惑おかけして、申し訳ありませんでした。先生が仰っていた中で最も印象的な言葉は、「俺は悲しみに満ちたこの世界に怒りを感じながら、日々過ごしている」という言葉です。

私も、自分自身がその悲しみの一因子なならぬように、そして世の中の悲しみと向き合って生きて行きたいです。もう、村田先生に恥じないような生き方をします。本当に、ありがとうございました。

柏村先生。柏村先生には変な甘え方をしてしまいました。私の汚い部分をたくさん見せてしまいました。でも、私がどん底にいる時、柏村先生の存在は私の救いでした。先生の、「曲がりながらも太く育つ、神木のようになれ」という言葉が好きです。私はまっすぐ生きることができていないけれど、「神木」のようになって、先生のように人を導けるような人間になりたいです。

他にも、時には心にグサッと刺さる愛のムチをくださりながらもずっと見守ってくださった弓場さん、私の話をただ聞いてくださり、「大丈夫」と諭してくださった与那嶺さん、私が諦めかけていたとき、投げやりになっていたときに励ましてくださった大学生の皆さん、いつ、どんな状況で行ってもいつもあたたかい食事を提供し、応援してくださった食堂の皆さん、熱く、熱くお仕事なさっているグレートティーチャーのスタッフの皆さん、そして南極老人さん…。

本当に、たくさんの方の支えの中でこの一年過ごしてきました。この塾でなければ、私がドロップアウトしていたことは間違いなかったと思います。私はこの一年、たくさんの愛をいただきました。今度は私が、愛を世の中にお返しできるような人間になってみせます。

本当に、本当にありがとうございました。